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第813回 記録ではなく記憶に

 久しぶりになってしまいました。
 4月の忙しかったこと、心身共に走り続けた感があります。
 やっと大型連休に突入。もう、何処にも行かないでいいです。ぼんやりしたいです、とか言いながらこうしてつれづれを書きたいとパソコンを開いている私。
 電車で移動していると木々の緑が日々濃くなっていき、植物の生命力の強さを感じます。いろんな緑が混ざった景色が、なんとも美しい。ところが、何処に行っても人だらけ。新幹線の駅は特に人だらけで、ホームを移動するのも大変。みなさんひとりに大きなトランクを持ち歩いているので、ぶつからないようにするのに鈍くなった身体を操作するのが大変なんです。乗車口近くのトランク置き場は通路をふさぐほど、蛇腹のような紐がつきロックできるようになっているのをご存じですか? 困ると次々手を打つのですから、たいしたものでもあります。蛇腹紐がついたトランクが走るのをまだ、防げてはいませんけど。
 ひとつ気になるのが、みんなが“目しか”つかっていない気がします。常にスマホを見ています、歩いていても、信号を渡るときも、電車で座っているときはもちろんです。1,2歳の小さい子が人の絵を描くとき⚪︎中に目だけかき、⚪︎に手と足がついているのを見たことがありますか? まさにあれを感じます。
 先日、車で環八(道路の名前)を走っていたら、後ろから消防車が来ました。避けてみるとすでに数台の消防車と救急車がいます。マンションから煙が出ていました。あら、火事だわ、大事にならなければいいけれどと思っていると、道路には数人の人が立っていました。なんと、スマホで動画を撮っているようです。ム???滅多にない光景だから記録に残す? 新聞社とかに提供するため? そういえば、珍しい物を見るとすぐにスマホに撮る習性がある人も多くなっている気がします。
 火事と言えば、もう50年も前のことを思い出します。自宅の裏から煙が上がりました。老夫婦が住んでいます。二階を人に貸していますがその人は留守。消防車が来る前に、近くのご用聞きに来ている酒屋さんや肉屋さんが駆けつけて、お祖父さんを背負って逃げました。近所の家に避難させて、荷物を運びます。私の家にも知らない人が来て「雨戸を閉めて、大事な物を持って逃げなさい!」と怒鳴りました。たまたま家には私だけがいて、オロオロしながら「大事な物って?」と、とりあえずパスポートだけもって庭にでました。裏は細い私道なので、消防車が入れず私の家の前に止めて消防士さんがホースをもって走ります。裏の物置を乗り越え放水が始まりました。途中“ぼーっ”と火柱が上がって周り中の人が恐怖と緊張で震えました。老夫婦は無事に近所の家で過ごすことになり、他の人がおむすびをたくさんもって来ていました。その夜も消防の人は、再び燃えることがあるからと見に来ていました。火が納まった後も数日間は臭いが漂って、目をつぶると火が浮かんできました。
 この生々しい体験を火事を、撮している人はしていない?想像すらできない?スマホから覗いたとたんに、生の目に一枚の磨りガラスを張ったように自分事ではなくなるのではないかと思うのです。そこに住んでいる人を想像したり、自分にできることはないかと思ったりせず、自分の心は動かなくなる。つまり、自分事ではなくなる。スマホからの景色は自分を安全圏に置くことでもあるのかもしれません。
 子どもの大事な入学式や誕生日、成長なども動画で記録にしているかたが多いです。確かに、残しておきたい気持ちはわかります。でも、やっぱり生の目で脳と心に焼き付けて欲しいです。記録ではなく記憶として。手がかりの一枚の写真程度でいいのではないですか? 目だけ使っている人間の目に、スマホガラスをはめ込まないように気をつけて欲しいと思いました。昔人間のたわごとでしょうか?(2026.5.3 記)