つれづれAikoー 柴田愛子のブログ ー
第807回 お誕生日

先日、17日はお誕生日でした。インスタグラムにも載ったので、多くの方から「おめでとう!」と言っていただきました。78歳を迎えました。いつのまにかこの歳になっていました。
振りかえると自分とは思えない自分を過ぎてきたように思います。
例えば、小学校の1,2年生のとき、学校ではものが言えなかった自分なんて、今や影もありません。
中学校で高飛びで賞をいただいたこと。高校で言いたいことが言えるようになったと思いきや先生に抗議したこと。
保育者になってからは近年のついこの前のできごとになっていますが、それでさえ、50年以上も前。
遠く雪山を眺めていると、あそこを歩いていたことなんて、自分以外の人の事ではなかろうかと思ってしまいます。
今しか自分って実感できないものなのですね。
ところが、何十回も誕生日を迎えるたびに、自分は知らない私の誕生を語ってくれる人がいます。
姉です。私は5にんきょうだいの末ですが、9歳年上の長女の姉とはずっと一緒に暮らしています。
「今頃の時間だわ、あなたが産まれたのは」と、朝の9時頃の姉の声。
母は私を自宅で産みました。「その日は、私達みんな(4人の子どもたち)学校を休まされて、チビを連れて外を散歩していたのよ」いよいよ産まれるから、二軒先のお祖母ちゃんに大きな声で「あかちゃんうまれるよー」って叫んだそうです。隣との間に塀なんて
ない時代ですから、ご近所さんにまるぎこえで、みなさんの見守るなか誕生したようです。
でも、学校帰りの同級生に「ずるやすみ!」と言われて、やんなっちゃったわという〆がいつも入ります。
この話を数十年にわたり聞かされてきました。
今年も聞きながら、そのとき姉は何歳だったのかと数えてみると、なんと9歳のはずです。
9歳の子が妹の誕生をこんなに鮮明に脳に焼き付けられるのですね。姉の今の歳は86歳ですから、気が遠くなるほど前のことになります。つくづく感覚で体験したことは長持ちするんだと感心してしまいます。
保育している子どもたちは3歳、4歳、5歳、6歳と一年たつごとに大きくなった誇りと輝きに満ちています。お誕生日、みんなに「ハッピバースデー」を歌ってもらうときの子どもたちは、照れながらも確実な一年の育ちの上に、新しい育ちを重ねていく自覚をもつように見えます。バームクーヘンの年輪のように。
でも、78歳という私の年輪はそんなきれいに輪を重ねていないみたいです。ところどころ輪は見えなくなっていますし、我がことと認識さえしていないことがいっぱいです。
まあ、子どもたちのように重ねていたら、大木になりすぎて折れてしまうかもしれませんよね。
これから何年続くかはわかりませんが、今一度確かな輪を重ねていくことを意識してみたいです。身体は確実に老いを感じています。みなさんの手をお借りしながらという前提ですけどね。この一年も、よろしくお願いします。(2026.2.22 記)