つれづれAikoー 柴田愛子のブログ ー
第799回 空気を読む
早、師走となりました。
例年より早くインフルエンザが猛威を振るっているようです。りんごの木でもお休みが多くなっています。皆さんはいかがですか?
さて、この頃、気になって、もやっとしていることがあります。
「空気を読む」という言葉です。
言葉は生もので、時代と共に流れていると思いますが、この言葉は私にしてみれば近年耳にすることが多くなったように思います。
そして、私は決していい言葉とは解釈していません。周りの空気を読んで、差し障りのない言葉や行動をすることで人を傷つけないし、自分も傷つかないというふうに理解しているからです。
人を傷つける「とげとげことば」と、好感が持てる「ふわふわことば」と区別して教えているところがあります。小学校では当たり前のように。そうすることで、使い方を学びます。でも、本来言葉というのは自分のことを、他の人にもわかり安く伝えられる表現方法です。まずは本音の自分の思い、自分の意見をストレートに言うことが大事だと考えています。自分の思いをストレートに表現したら、相手が怒ったり、泣いちゃったとか、喜んだなどの反応が返ってくることで、人との違いや気遣いが生まれてくる。だから、「空気を読む」前の年齢に、つまり幼児の段階で本音を出して話すことができる「ミーティング」が有効だと思っているのです。自分の思いを言語化することで、共感したり、違う事がわかったり、議論したり、折り合うことができるのです。人がそれぞれ違う事を尊重し合う原点と思っています。だから、空気なんて読めちゃいけないくらいに考えています。
ところが、最近気づいたのですが、この言葉を使い慣れている人がすでに親になっているようです。「空気を読む」のは当たり前で、空気を読める子に育って欲しいという意見を聞きました。具体的に言うと、公共施設で騒いだり、レストランで騒いだりする子では困る。ちゃんとその場所の「空気を読んで」行動してくれる子に育って欲しいということでした。
混乱しました。私の言う「空気を読む」とは違うみたいです。私的にはそれは「場をわきまえる」「マナー」という言葉に近い意味だと思います。それも含めた「空気を読む」なんですね。まだ20代の人に聞いてみました。「空気を読める人間になりたいですか?」と。「はい!」と返ってきました。
私の嫌いな「空気を読む」は周りの人を大事にするあまり、自分がみえなくなってしまうと言う危惧でした。人より自分を大事にしてほしい。自分の本音を出しながら、いろんな事に気づき自分を育てて欲しいと思っています。
もはや同じ言葉でも、時代の流れの中で、解釈も変化している事に気づきました。そういえば、すげぇ、でかい、きもい、うざい、超たのしい・・・と、新種だと思っていたのが、いつの間にか耳慣れています。言葉の解釈の違いを推測しながら話さなければ、誤解
を招いたり、論争になりかねないのを感じます。
私が子どもの頃、ちまたで流行っている言葉を家で使ったら、母がきっぱり「私はその言葉は嫌いです!」と切られたことがありました。それも、かっこいいです。私は本音を貫き、謝ったり、反論したり、傷ついたり、励まされたりしながら、自分を育てたいと今でも思っています。傍若無人ではないですよ。空気ではなく体当たりしながらです。(2025.12.1記)