つれづれAikoー 柴田愛子のブログ ー
第787回 やっと通じたモンテッソーリ
ほんとに酷暑が続きます。冷房の中でお仕事されている方はそれほど暑さを感じないかも知れませんが、屋外にいなければならない方はほんとにご苦労様です。保育や学童は時間が長いですし、気温によっては外も、プール遊びも禁止。でも、冷房の中だけで空気の換気も限られていて大丈夫かと不安にもなります。で、少しでも外に連れ出したりと、試行錯誤なさっていることでしょう。今からの子どもたちの身体は変わらざる負えない気がします。
夏なので、研究会が多いです。保育から開放されて、広く涼しい場所で、いつになく座り続けて学んでおられます。睡眠確保になってもいいですと、毎回申し上げています。
さて、先日、モンテッソーリの保育園・幼稚園・こども園の全国大会に伺いました。一年以上も前に基調講演のご依頼がありました。驚いた私は腰が引けました。「モンテッソーリのことを勉強していませんし、キリスト教のカソリックも詳しくないので、不適任だと思います」とご辞退申し上げましたが「だいじょうぶです。お願いしたいです」の押しにめげてお引き受けしてしまいました。
だんだん日にちが迫ってきて気持ちが焦ります。そういえば、若い頃数冊本を読みました。外国のモンテッソーリの園も伺ったことがありました。確か、一冊本があるはずと本棚を探しましたらありました!
「モンテッソーリ法」0歳〜六歳まで あすなろ書房
なんとカバーも掛かって、筒に入った、しっかりした装丁です。1970年発行。定価が500円とあります。安いですね! 裏表紙に私の字で「昭和45年10月7日 あいこ」と書かれてありました。つまり、私が23歳の時です。
ちょっと黄ばんだ本を読み始めました。序文から引き寄せられます。赤線を引かずには折れない箇所がつぎつぎ現れます。
その一文に「教育はもはや知識を授けることだけかかわっているべきではなく、人間の可能性を探究する新しい道を辿らなければなりません」
「教師が子どもに教えるのではなく、子どもが教師を教えるのです」
「教育とは、人間個こ人が自発的になしとげる自然的過程であり、言葉を聞くところからではなくて、環境を体験することから学ぶものなのです」などなど、あげたら切りがないほど納得して頷くことばかりです。
モンテッソーリはイタリアで1870年生まれました。日本の年号にすると明治3年です。日本に紹介されたのは大正ですが、注目されるようになったのは昭和43年以降のようです。
調べればわかることをつぎつぎと解説してしまいました。
私が何より驚いたのはすでにこの方は明治時代から教育をこんなふうにとらえていた事実。
なにも今と変わっていません。いえ、今も大事なことばかりでした。そして、もっと驚き呆れたのは、私はこの本を読みながらなにも覚えていないということです。つまり、文字だけなぞり、内容は全く入ってきていなかった。幼稚園に勤めたばかりの頃です。一斉保育で教える、指導するのが教師でした。いろんな疑問を持ち、たくさんの研究会に行き始めた頃なのに、内容を読み取る力がなかったのです。その後もモンテッソーリの孤児院の運営や発達理論や子どもたちが生きる力を持つための教具は目にしてきましたが、肝心の教育に関しての軸とも言うべき考えを学べていなかった。いま共感できるようになったのは、私が長年保育をしてきたからこそなのでしょう。ひとりひとりの子どもを観るようになり、信用するようになり、子どもが自ら育つ力を持っているという確信を得たからこそなのだと思います。呆れるほど時間が掛かりましたが、モンテッソーリを知ることができてよかったと思います。
しかし、ネットやユーチューブなどでモンテッソーリ教育を検索するとギョッとするものが多々あります。どうしてこうなっちゃったの?と、仰天! きっと、モンテッソーリご自身もギョッとなさっているでしょう。何事も軸を探しましょう。そして、今わからないことが山ほどあるから、人生ときどき振りかえるのもいいものですね。(2025.8.3 記)