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水あそびと「危険」

一気に夏のようになって来ました。子どもたちのプール遊びが急に始まりました。
公共の遊歩道に面して、丸見えのりんごの木ですが、木のテラスのところに大きめのビニールプールを出します。通行人に水がかからないように、ビニールシートで囲んでいます。
わちゃわちゃと混んだお風呂状態で身体を冷やしている? かと思うと、囲われている木の枠からジャンプする子がいます。かつて映像でそれを見た保育者に「こんなあぶないことやっていいんですか?」と聞かれました。やっていいかどうかを考えるまもなく、子どもがやっちゃうんです。そして、やっちゃう子はやれちゃう子でもあり、怪我をした子はいません。他の子にぶつからないか、滑っておぼれないか、そんな心配はしますが、子どもも5歳くらいになるとそのくらいは考えているようです。
保育や子育てでは「そんなことをしたら危ないよ」「それはやめようね」とおとなが危険を察知して止めることが多くあります。そんなに子どもは危険に鈍感なのでしょうか? 未経験のことも多いですから、やってからでは遅いという気持ちはわかります。でも、本能的にも、あそびを通しても、危険察知能力はかなりあるのではないでしょうか?
さて、そのプールの中に一メートル四方ぐらいのウレタンのマットをいれるのです。いつの頃からかこんなことをし始めました。そのウレタンマットをたくさん重ねて島のようにしているところにジャンプする様子を見て、保育者が「あれは怖い。マットの下に入ったら持ち上げられないし声も出せないから死んでしまうかもしれない」と思いを伝えました。3枚くらいにして欲しいと言いました。たくさん重ねるのはなぜかと聞くと「しま(島)」だそうです。
子どもたちに聞いてみました。プールには水だけがいいという人が半数以上いました。マットが3枚くらいがいいという子が半数に欠ける程度。そして、いっぱい重なったのがいいと言ったのは二人。

「どうしてマットがほしいの?」と聞いたら、いろんな声が出てきました。あれに乗ると顔に水がかからないからほしいという子、船みたいにしてあそびたい、ゆらゆらするという子。飛び降りるときそこをめがけると安心という子も。
改めて思いました、子どもはなにも考えずに衝動的にあそんでいるわけではなく、それなりに考えているということです。それを無視して、おとなの安心安全でルールを作ってしまいがちです。すると、体験せずにおとなの危険度を察知し、行動をセーブしていくようになり、本人の判断はできないままになってしまう。危険を承知の上で子どもに任せろということではなく、子どもに任せながらしっかり見守るということです。もちろん、きわどいときはサッと助けられる位置にいて。
それぞれのあそび方が違うのがわかって、私から提案しました。水をため始めて午前中はマットなし、お昼を食べてからはマット3枚、片付けるまえに島重ね。どの子も保障しながら、それぞれが違うあそび方を楽しみながら、人のやり方も見て、いろんなあそび方やってみて、さらに自分の楽しみ方をみつけていく。ひとつしかないからこそ、工夫し考えて、みんなが納得する方法にしていく。あそびを通して工夫し、思考を重ねていくことになると思います。
水は怖いです、わずかの水でも何があるかわかりません。保育者は緊張を緩められません。けど、無条件に楽しいのが水遊びでもあります。昔は公共のプールに連れて行ったのですが、今や「幼児は子ども一人におとな一人」という決まりですから、保育では利用できなくなりました。いえ、親子でも難しい条件ですよね。

チャレンジして、体験して、学ぶのが子どもなのだとも思います。おとなの安心安全が子どもの行動範囲になっていくと、自分を知らない子どもになっていきそうです。何かあっては困ります。でも、自分の気持ちから起きたことを体験しないのも困ります。どう折り合ったらいいでしょうかね?  (5月22日 記)